2011年11月25日金曜日

讃州生駒家家臣 香川(加川)氏

西讃岐の守護代として名を覇した香川氏は、豊臣政権の四国進出に伴い、その力を削がれてしまった。一族は分散し、本家の多度津香川氏、分家の観音寺香川氏等は、土佐の長宗我部氏の庇護を受けた(長宗我部地検帳参照、この件に関しては、土佐の史学者、朝倉慶影氏の優れた論考がある)。
著者は、先日、土佐、幡多郡入野郷鹿持川に出張、観音寺香川氏の消息を訪ねた。この件に関しては、以下のURLに拙文を記した。
http://kanonji.blogspot.com/2011/11/blog-post_3261.html
http://kanonji.blogspot.com/2011/11/blog-post_30.html
http://kanonji.blogspot.com/2011/12/blog-post_01.html
さて、「生駒家家臣分限ノ記(以下URL参照)」を紐解くと、加川与三兵衛なる知行高406石の侍がいることに気が付く。その知行所を探索すると、嘗ての多度津香川氏の直轄地が近い。亦、彼は、自らの知行の内から、金毘羅への寄進を為している。彼の出自が興味深い。
分限ノ記の頁を更に繰って行くと、鷹匠という項目がある。此処に、更に、三人の香川氏がいる。それだけではない。居並ぶ諸氏の名は、平塚氏を除くと、全てが、讃岐の守護代、或いは、その近辺に繋がる人たちである。生駒藩に於ける鷹匠という職務について、一考する必要があるのではないか。

合田學校訂 「生駒家家臣分限ノ記」
http://kousakashikenshoukai.blogspot.com/2010/10/blog-post_1559.html



「生駒家給人帳(1999年6月5日第四版発行)」に見る加川与三兵衛、香川仁左衛門、香川彌五郎、香川角左衛門


「生駒家知行帳(1999年6月5日第四版発行)」に見る加川与三兵衛
 


「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇分冊-Ⅰ(2001年11月18日第三版発行)」に見る加川与三兵衛
 


「生駒家家臣分限ノ記(1999年9月11日第四版発行)」記載森出雲組に見る加川与三兵衛


「生駒家家臣分限ノ記(1999年9月11日第四版発行)」記載鷹匠に見る香川仁左衛門、香川彌五郎、香川角左衛門



この稿、執筆途上。合掌。

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