2012年11月9日金曜日

讃州生駒家家臣 植松氏

植松氏を名乗る侍は、都合二人確認することが出来る。 生駒氏が、植松茂兵衛と香西新十郎に、讃岐香西氏最後の当主、宗哥(香西伊賀守)の堪忍領があった笠居之郷に知行所を与えたこと、感慨深いものがある。
合掌。


参考
合田學著「讃州香西郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代」
合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」  



合田學著「讃州生駒家給人帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。



合田學著「讃州生駒家知行帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。




合田學著「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇(第三版2001年11月18日刊より、当該資料を抽出した。




合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記(第四版1999年9月11日刊)より、当該資料を抽出した。

讃州生駒家家臣 香西氏

香西氏を名乗る侍は、都合三人確認することが出来る。宗哥は香西氏最後の当主、香西伊賀守である。亦、他の二人が鷹匠であること、これは一考を要する。
合掌。


参考
合田學著「讃州香西郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代」
合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」  



合田學著「讃州生駒家給人帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。



合田學著「讃州生駒家知行帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。







合田學著「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇(第三版2001年11月18日刊より、当該資料を抽出した。





合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記(第四版1999年9月11日刊)より、当該資料を抽出した。





この二葉のグラフは、香西氏に縁のある香西郡笠居之郷の生駒氏統治時代の様態を示すものである。
合掌。

2012年11月8日木曜日

讃州生駒家家臣 佐藤氏

佐藤氏を名乗る侍は、都合十一人確認することが出来る。内、二人が高松城郭内に、三人が高松城西浜に屋敷を拝領している。亦、四人が、家中騒動の際、藩主高俊に見切りを付け、藩を退いた。
合掌。

参考
高野山文書に見る生駒家襲封初期の侍名簿
幕府穏密の讃岐探索記録に見る生駒家上級家臣団名簿 
合田學著 「生駒時代高松城侍屋敷図(郭内篇)」



合田學著「讃州生駒家給人帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。





合田學著「讃州生駒家知行帳(第四版1999年6月5日刊)」より、当該資料を抽出した。





合田學著「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇(第三版2001年11月18日刊)より、当該資料を抽出した。











合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記(第四版1999年9月11日刊)より、当該資料を抽出した。


付記
本日、佐藤氏を名乗る方からご連絡をいただき、明日お会いする約束をした。此れを期に、佐藤氏に関するデータを纏め、アップロードする。
合掌。