2011年9月29日木曜日

讃州生駒家家臣 石井氏

はじめに
上坂氏(豊臣氏蔵入地代官)入城以前の観音寺城(高丸城)城主であった香川景全(かがわかげはる)の三男が、石井氏を名乗り、その血脈を伝えていたという話を、昨日、末孫の方から伺った。尚、観音寺城主香川氏(観音寺新左衛門)は、長宗我部氏土佐撤退の際、行を共にし、土佐国幡多郡鹿持川で知行を得ていたことが、「長宗我部地検帳」に記されている。ただ、長宗我部氏改易以降のことは窺い知れない。生駒藩士石井氏の出自調査が待たれる所以である。
合掌。





「生駒家知行帳(1999年6月5日第四版発行)」に見る石井長右衛門、石井六郎右衛門



「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇分冊-Ⅰ(2001年11月18日第三版発行)」に見る石井長右衛門、石井六郎右衛門




「讃州御国中村切高惣帳、生駒家寛永組分知行帳(1998年6月5日第三版発行)に見る石井六郎右衛門の知行所があった香西郡坂田之郷



「讃州香西郡志史料篇-1生駒氏統治時代 (2001年12月11日第三版発行)」に見る石井六郎右衛門の知行所があった香西郡坂田之郷



「讃州御国中村切高惣帳、生駒家寛永組分知行帳(1998年6月5日第三版発行)に見る石井長右衛門の知行所の痕跡が確認される仲郡子松之郷、佐文とも



「讃州仲郡志史料篇-1生駒氏統治時代(2001年8月15日第四版発行)」に見る石井長右衛門の知行所の痕跡が確認される仲郡子松之郷、佐文とも



「生駒家家臣分限ノ記(1999年9月11日第四版発行)」記載留守居に見る石井六郎右衛門



「讃州御国中村切高惣帳(1998年6月5日第三版発行)」に明知行と記され、従来の写本侍帳には未記載の侍名一覧に見る石井長右衛門





付記
讃州生駒家家臣石井氏は、各種侍帳、分限帳では、留守居役の石井六郎右衛門のみが記されている。然し、優れた土地台帳である「讃州御国中村切高惣帳」には、明知行と追記された石井長右衛門の名を確認することが出来る。明知行とは、何らかの事情で藩籍を離れた侍の知行所の名残を示すものである。知行所に依っては、既に他の侍の知行地になったものもあり、「讃州御国中村切高惣帳」に記された明知行は、文書成立時に於いて、未だ処分の決まっていない土地である。これより、石井長右衛門という侍が、地方知行十九石、或いはそれ以上で、生駒藩士として存在したことが確認される。
合掌。