さて、過日、大倉桃郎(おおくらとうろう)氏の著した「慶長武士」に収録された眞野左大夫頼孝に関する文章を講読した。予ねて、眞野氏の名を讃州生駒家の侍帳で見出していた僕にとって、それは誠に喜ばしいことであった。
今、その二として、2000年8月15日に刊行していた「五種の生駒家侍帳に於ける記載の異同(地方知行を給された家臣のみ)」から、眞野氏に関する記述をアップロードする。眞野豊後後家(100石)、そして、眞野勘右衛門(500石)の名が、全ての侍帳に記されている。亦、眞野小源太に関しても、三種の侍帳にその名が見える。
付言すれば、こうした人名録以外、優れた土地台帳である「讃州御国中村切高惣帳」でも、彼らの知行所が確認されるから、眞野豊後の一族、彼らは、確かに、讃岐の地を踏んでいる。
合掌。
五種の生駒家侍帳に於ける記載の異同(地方知行を給された家臣のみ)
参考
讃州生駒家家臣 眞野氏(真野氏) その一
付記
秀吉公創業期の家臣団名が記されている竹生島奉加帳を紐解くと、上坂卜眞齊信貞の名と共に、眞野左近(真野左近)の名も散見される。
合掌。